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Junk Mind D.N.A.

ことばがかいてあります。

夢見たあの日の理想の

自分

遠く離れた理想の自分と
新たに生まれた理想の自分

それを眺める現実の自分と

あの頃の、子供の自分


子供に向って「将来の夢は?」と問いかける。
子供は考えて、考えて、答える。
でも、彼らの中には大して選択肢がある訳でもなく、
また、判断力がある訳でもない。
何しろ、善悪の基準ですら曖昧で、借り物なのだし。

大抵は「警察官」だの「お嫁さん」だの「芸能人」だのと言う。
格好良い、幸せそうな、華々しい、そんなイメージのもの。
でも、そういったイメージは結局のところ、他の誰かが植え付けたものでしかない。

自分でそう判断した訳でも、まして経験して確かめた訳でもない。

それならば、子供に対して「将来の夢は?」と問いかけることに意味はあるのだろうか?
逆に、「じゃあどんな夢だったら満足するの?」と問われたら、どう答えられるのだろうか?
明確な基準だったり、誰もが納得するような回答だったり、そんなものなんてあるはずもないのに。

どんな場合でも相手を納得させられるような答えなんて、あるはずもないのに。


自分のことに当てはめて考えてみる。
成りたかった自分。
幼稚園の頃は、「テレビ局の人」。
小学校卒業時は「アニメの声優」。
中学生になって「銀行員」。
20歳になって、やっと「小説家」に辿り着く。
紆余曲折というか、無節操というか。
要するに、芯がどこにも見当たらない。通っていない。
華々しさや憧れや、まして現実に打ちのめされたり、そんなことで夢を決めて良いものだろうか。
正直な話、子供の頃の自分は「画家」か「料理人」の二択だと思っていた。
その二つくらいしか、なりたいと思えるものを知らなかったから。
でも画家になる勉強をするには金がかかるし、料理人になる夢はあっさりと蹴り飛ばされた。
呆然とした失意の中で高校に進んだのは、ある意味で周囲への冒涜だったのかもしれない。
それから悪意に触れ、自分の愚かさと向き合い、初めて夢を持った。


過去を振り返ることに、一体どれだけの意味があるのか。
人によって違うだろうけれど、僕にとってはそれなりに意味がある。
要するに「同じ過ちの繰り返し」だということを認識するということ。
諦観は、爽やかで晴れやかな開き直りへと変わる。
顔を上げるだけで、空が見える。たったそれだけのこと。

上手く行かない毎日の中で、僕はこう思う。
「そもそも上手く行ったことなんて一度もねえわ」
そう思って自嘲的に笑う。


夢見た自分。
夢を見た、あの頃の自分。
夢の中で輝く自分の姿。
遠く、遠く、あまりにも朧な姿。
遠すぎて、それは自分とは思えないほどに。

だから夢でなく、現実の自分を見つめる。
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  1. 2008/05/12(月) 00:05:46|
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