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Junk Mind D.N.A.

ことばがかいてあります。

[連載中] 僕らの青年期~音 第三話

 細身で長身の、僕より年上の男の人。鈴木のストンピングから僕を助け出してくれた人に肩を借りて、並木道から一本入った「ドブ川通り」に。



 細身で長身の、僕より年上の男の人。鈴木のストンピングから僕を助け出してくれた人に肩を借りて、並木道から一本入った「ドブ川通り」に。
「手当てしてやる」と言ったきり、その人は黙り込んでしまった。僕は朦朧とした意識の隅で、僕を支えてくれている人を観察していた。
 身長は平均よりも高い。190センチに近いくらいだ。細い割りに力は強いようで、僕を支えているのに足取りは揺らぎもしない。ごわごわとするライダースのジャケットには、ワッペンやらバッヂやらが付いている。派手にならないぎりぎりの程度に、だ。それでも良いセンスだとは思えないけれど。
 それと、僕の肩をしっかりと握る、細くて長い指。カビと埃と汗と、少しだけコロンの香り。
 しばらく歩くと、その人は不意に足を止めた。
「ここだ」
 あごで指した先には、「輪舞」という看板の、目立たない扉。壁のペンキは剥がれかけていて、お世辞にも綺麗な店だとは言えない。
 何の店だろう? 僕はどこに連れて行かれるのだろう? 今更になってそんなことを思ったけれど、どっちにしても僕は一人で歩くにはやられ過ぎていた。まだ頭がくらくらしている。
 から……ん、が……。
 出来損ないの鈴のような、歪んだ音。きしみを立てる扉と一緒に鳴った。
 一歩店内に入ると、ひんやりとした空気が流れてきた。不気味なくらい静かな店内のカウンターの中に、ひとりだけ人が立っている。小太りで丸顔の、人当たりの良さそうな雰囲気の人だ。
「よう……っと、面白いの連れてるな」
「怪我してる」
 僕を運んでくれた人が、一言だけそう告げた。
 どうも、と声を出そうとしたけれど、声は低いうめき声にしかならなかった。それを聞いて納得したのか、丸顔のマスターは早足で店の奥に入って行った。
「黙ってろ。頭打ってる」
 静かで、冷たいような。そのくせ従いたくなるような、安心するような。そんな声が頭の上から聞こえた。
 ふっと体が軽くなって、弾力のある物の上に寝かせられた。多分ソファーだろう。軽々と僕を持ち上げる辺り、こういうことには慣れているのかもしれない。
 横になると不思議なもので、体中のあちこちが急に痛くなり始めた。
「どうしたんだ? 手酷くやられてるじゃないか」
 マスターの、甲高い声。
 僕を運んでくれた人は、黙ってごそごそとやり始めた。どうも救急箱を漁っているらしい。
「鎮痛剤と化膿止めは……これか?」
「ああ。でも熱が出るかもしれないから……これもな」
 薬事法違反だけどな、とマスターが軽口を叩き、無視された。
 僕の背中に手が回され、上半身を抱き起こされた。
「これ飲め」
 幾つかの錠剤を受け取り、次いで水の入ったグラスも渡された。血の味のする口の中に薬を放り込んで、きんきんに冷えた水で流し込む。それだけで、多少は気分が楽になった。
「後は俺がやるから、ブレンド頼む」
「へいよ」
 丸顔のマスターが肩をすくめてカウンターの奥に引っ込んでいくと、ライダースの男の人は僕の傷の手当てを始めてくれた。
 上着を脱がされ、背中を出す。そこにビニール袋で作った即席の氷のうを乗せる。殴られて切った唇はオキシドールで消毒して、軟膏をすり込む。口の中はどうしようもないので、とりあえずうがいだけ。マスターが持ってきてくれた洗面器に、うつ伏せになったまま何度か血と唾液と胃液の混じった水を吐き出す。
「しばらく寝てろ」
 コーヒーが淹れ終わる前に、僕の手当ては終わった。彼は前髪を雑にかき上げて、カウンターの一番奥の席に腰を下ろした。
「ほらよ」
 良いタイミングで出てきたコーヒーに、静かに手を伸ばす。
「あ……」
 ため息のように洩れた、僕の声。それが届いたのか、あの不思議な声の男の人は背中越しに答えてくれた。
「どうした?」
 顔はこっちに向けようとしない。カップを傾けて、何事もなかったかのようにコーヒーを飲んでいる。
「ありがとう、ございました」
 搾り出した声に、彼は動きを一瞬だけ止めた。
「ああ」
 突き放すような口調と無感情な声なのに、どうしてか僕にはそれがとても魅力的に思えたんだ。

 どれくらいの時間、目を閉じていたのだろう。薬のおかげか、僕は少し眠ってしまっていたようだった。頭の奥がじんと痺れているような感じがする。
「っつ……」
 背中に乗せられた溶けかけの氷のうを下ろして、体を起こす。ねじれた背中が、まだ痛みを訴えてくる。それでも大分楽になった。
 ちゃんとソファーに腰掛けて、辺りを見回す。改めて見てみると、店内はあまり褒められた状態じゃあないことに気付いた。
 狭いカウンターは店内の半分近くを占めている。席は五つしかない。その一番奥に、僕を運んでくれた男の人が座っている。カウンターの中には小太りで丸顔のマスター。口を結んだまま、手にしたグラスを白い布で丁寧に拭いている。
 カウンターとテーブル席の間には仕切り板のようなものが立ててあるけれど、実用一点張りで、何の洒落っけもない。ただの薄汚れた板だ。たくさんの種類の汚れで灰色のまだらな模様になっているけれど、これは元々白かったのだろう。薄暗くて色彩の死んだような店内の中で、一番目に付く色だ。それ以外の物――テーブル、椅子にソファー、壁に至るまで、全部黒にしか見えない。明らかに光量の足りない店内だ。バーとか、そういった店なのかもしれない。何より冷房がきつい。
 とりあえずソファーの背にかけてあったシャツを着込む。鈍い痛みが時々走るけれど、この程度だったら二、三日すれば問題なく動けるようになるだろう。
「あの……」
 BGMもなく静かな店内に、僕の声が妙に大きく響いた。場違いなくらい。
 僕の声に、マスターが顔を向けてくれた。あの人は気付いているのかいないのか、正面を向いたまま黙っている。
「目、醒ましたか。まだ痛むだろう?」
「ええ。でも、もう平気です。ご迷惑をおかけしました」
 そう言って軽く頭を下げると、何故か笑われてしまった。
「迷惑か。見ての通り客もいないしな。誰にも迷惑なんてかからんよ」
 気楽そうな軽い声。マスターは言いながらも手を休めない。
 喫茶店、だったらしい。バーではなく。どう見ても落ち着けるような雰囲気じゃないと思うけれど……。
「あいつは──」
 低く、落とすような声。声だけが僕に向けられている。
「もう手出しして来ないだろうな。『傷害で突き出してやろうか?』って言ったら逃げて行った」
 マスターとは正反対の声なのに、僕にはちゃんと届いた。
「ありがとうございます。助けてもらって、その上手当てまでしてもらって」
 僕のお礼には、返事が返って来なかった。マスターが肩を竦める。
「ありがたいと思うなら、こっち来て何か頼んでくれよ。売り上げに貢献してくれるなら怪我人だろうが強盗だろうが大歓迎だ」
 マスターが指差したのは、カウンターの席。端から三番目の席だ。気後れしながらもソファーから立ち上がって、カウンターの椅子に腰を下ろした。借りていた氷のうとタオルをカウンターに置く。
 すっと息を吸うと、コロンの匂いがした。多分僕の二つ右に座っている、あの男の人のものだろう。この匂いはムスクだろうか?
「ほら、メニューだ」と手渡されたのは、薄っぺらい一枚の紙だった。無表情で無機質で、簡素な字で幾つかの品目が書かれている。値段は普通の喫茶店と同じ。違うのは、メニューの少なさだけだ。
 その少ないメニューの中から、僕はオレンジジュースを頼んだ。「毎度」とライトなノリでマスターがオーダーを受けて、透明なグラスを手に取った。何の気なしにその手付きを眺める。冷蔵庫の製氷室からロックアイスを取り出してグラスに入れる。グラスと氷の触れ合う音が、短く響く。冷蔵庫から取り出したパックからグラスに濃い黄色の液体を注いで、半分に切ったオレンジをガラス製の絞り器でぐっと絞る。絞り器からオレンジの絞り汁をグラスに注いで、マドラーで軽く混ぜる。からからから、とロックアイスの立てる音が耳に涼しそうに聴こえてくる。
「おらよ」
 厚紙のコースターに載せられて、僕の前に置かれたオレンジジュース。ストローは使わないで、そのままグラスを手に取る。
「っつ……」
「はは、沁みるか?」
「ええ、少しだけ……でもおいしいです」
 返事の代わりに一度眉を跳ね上げて、マスターはまたグラス拭きに戻った。

 二杯目のオレンジジュースを頼んで、ゆっくりと飲む。一杯目は、喉が渇いていたこともあってすぐに飲み干してしまったから。そういえばあの居酒屋でもろくに食べてなかったし、食べたものは全部吐いてしまっていた。何か軽く食べられる物でも頼もうか、それとも帰って何か食べて寝てしまおうか、そんなことを考え始めた頃に僕の右側から声がした。
「経緯はどうあれ……」
 顔を向けると、やっぱりその人は前を向いたままだった。どうも話をするときに相手の方を向かないらしい。
「タンカ切るなら、殴られることも考えておくべきだったな」
「いや、僕は……」
 何がいや、なのだろうか? 考えてもいない言葉が口から出てしまった。降りた沈黙に耐えられずに、俯く。
 何と言って良いのか分からずに、ただ思ったことを口にしていた。
「僕はただ、負けたくなかっただけなんです」
 からり、とグラスの中の氷が動いた。
「ブレンドもう一杯淹れてくれ」
 バーのような雰囲気の喫茶店。当然、酒の類は一切置かれていない。でも、こういう雰囲気の人にはやっぱりウイスキーとかの方が似合うような気がする。
 夏の終わりの夜、他に客のいない喫茶店で黙ってコーヒーを飲む。それはそれで不思議な感じがするけれど。
「いつも誰かが助けてくれるとは思うなよ。無茶な奴はどこにでもいる」
 淡々と、感情を込めずに言っているけれど、それが余計に重く聞こえる。
 何も答えられずに、黙ったままグラスの中を見ていた。
 マスターが、コーヒーカップを差し出して、彼がゆっくりとした動きで飲み始めても。

 どれくらい沈黙が続いただろうか? 居心地の悪さは何故か無かったけれど、会話もなく音楽もない、その上気を紛らわす手段もないという状況にいい加減疲れていた。腕時計を見ると、意外と遅い時間になっていた。いつもだったらそろそろベッドにもぐり込む時間だ。
「えっと、僕はこれで失礼します。また改めてお礼に伺います」
 立ち上がって、財布を取り出す。
「お礼なんていらないから、また売り上げに貢献してくれよ」
 マスターは上機嫌でそう言う。もっとも、僕が見ている限りでは常に上機嫌だったような気もするけれど。
 千円札を手渡して、お釣りの小銭を受け取る。
「あの……」
 僕を助けてくれた男の人は、やっぱり視線を目の前に向けたままだ。伏目がちに前を向いて、何もない空間を見詰めている。
「本当に、ありがとうございました」
 何度目かのお礼の言葉を言うと、彼は少し長く瞬きをした。
「ああ」
 それ以上は何も返ってこないだろうと思い、一度頭を下げてから席を後にした。ドアノブをひねって扉を開く。きしみを立てて開く、思った以上に重い扉。ベルがまたできそこないの音を立てた。
「ありがとうございました」
 扉が閉まる瞬間に、早口で甲高いマスターの声が聴こえた。
 夜の空気はとても蒸し暑くて、息が詰まるような気がした。


《第四話へ続く》
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  1. 2017/04/20(木) 22:03:56|
  2. 長編小説(連載中)
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