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ことばがかいてあります。

[連載中] 僕らの青年期~音 第六話

 夏の終わりから、街路樹の葉が舞う秋に季節が変わった。



 夏の終わりから、街路樹の葉が舞う秋に季節が変わった。
 僕の日常の中に、新しいリズムが生まれていた。
 仕事が終わり、駅を降りれば、足がドブ川通りへと向かう。街灯すら満足にない、下水臭い淀んだ風の溜まっている、ドブ川通り。
 頬が緩む。少しだけ、足取りが軽く、速くなる。
 新しいリズム。
 僕以外の誰にも分からない、リズム。

 その日、「輪舞」に僕以外のお客さんがいた。それはとても珍しい、というか初めてのことで、僕は正直驚いた。マスターに目でそう言うと、「俺もだ」というように肩を竦めて頷いていた。
 いつものように、座るとすぐに温かいカフェオレが出される。
「ほれ、この坊主がさっき話してた奴だ」
 マスターが独特の高い声で、もうひとりのお客さんに言った。マスターの正面に座っているその人は、僕をひどく珍しいものを見るような目で見ている。
 居心地が悪くなって、なんとなく視線を逸らす。
「ヤツが気まぐれで拾ってきてな、それから居ついてる。ウチの二人目の常連客さ」
 マスターのこういう言い方にも、今では随分と慣れている。むしろ、気持ち良いくらいだ。飾らない分、親密感が伝わってくる。
「坊主、こいつはヤツの昔のツレでな、哲ってんだ」
「あ、どうも」
 紹介されたので、頭を下げる。きちんと僕の本名も告げて。
 哲、と紹介されたその人は、切れ長の細い目を優しそうに下げて言った。
「海老原哲だ。あの人とは古い付き合いでね。ちょっと用が出来たんで逢いに来たんだ」
 低い、とても低い声。抑揚の少ない、控え目で落とすような口調だ。でも、音さんの声とは全然違う。似ているけれど、根本的な何かが違う。そんな気がする。
「そうなんですか」と答えて、カップの中身を口に。いつもと同じ、感情が少し丸くなるようなカフェオレだ。哲さんが飲んでいるのは、グラスに入った琥珀色の液体。指二本分くらいの量の液体に、ロックアイスが浸っている。どう見てもコーヒーじゃない。あれはウイスキーだろう。「輪舞」にお酒があったなんて知らなかった。
「あの人のことは、どれくらい知ってる?」
 からり、と氷を一回転させてから、ウイスキーを少し口に含む。その仕草がとても大人っぽくて、思わず見惚れてしまった。
「坊主は何も知らねぇよ。ヤツは自分からは何も言わねぇし、俺も口止めされてる」
 少し寂しそうな、マスターの口調。口止め? 一体、何を?
「でも、俺は口止めされてませんよね?」
 悪びれない哲さんに、マスターは黙って肩を竦めた。「知らねぇぜ」とでも言うかのように。
「あの人のこと、知りたいか?」
 哲さんが僕の方を向く。ぼさぼさの髪の毛を心持ち立ててあるから、迫力がある。目鼻立ちもはっきりしていて、一度見たら忘れない類の顔だ。細められた目の奥が、真剣に、それでもどこか興味深そうに光るのが確かに見えた。
 僕は少し考えて──考えるまでもないことに思い当たって、はっきりと答えた。
「はい」
 マスターの溜め息が妙に長く、大きく響いた気がした。

「あの人のことを話すには、まず俺たちのことから話さなきゃならないな」
 哲さんは、ポケットから煙草を取り出した。マスターが黙って灰皿を出す。
 ジッポーの澄んだ音と、オイルの燃える匂い。煙草の乾いた匂いが、すぐにカウンター一杯に広がった。
「俺たちは、つまり俺とあの人と、他の三人を入れて全部で五人の仲間は、音楽やってたんだ。それも、結構本気でな」
 少し照れたように笑う、哲さん。たくさんのことを経験した大人の、照れ笑いだ。
「特にギターを弾いてたユーヤって人がずば抜けて凄くてな。その人に引っ張られるような感じで、あっと言う間に有名になった。雑誌にインタビューを受けたり、レコード会社からデビューしないかって話が来たりしてな」
 それは……ひょっとして、凄いことなんじゃないだろうか?
 僕の驚いた顔に、また照れ笑いを浮かべる。でもそれはすぐに、過ぎ去ってしまったことを懐かしむ笑いに変わった。
 煙草が、吸われずに燃え続けている。
「でも、俺は良く分からなかった。プロになる、って言われても、他人事みたいにしか思えなかったよ」
 ほとんど吸っていない煙草を、灰皿に押し付けるようにして消した。そして少し考えるようにして、もう一本取り出した。今度は火をつけずに、指の間で揺らしている。
「なんとなく、俺は先のことなんて考えられなかったんだ。楽しくて、忙しくて、しんどくて。でも、やっぱり楽しくてさ」
 哲さんの頬が、緩んでいる。目元は、見えない。「輪舞」の店内は薄暗い。
「もちろん、一人前の歌唄いにはなりたかったよ。だから必死に覚えたギターも辞めて、ユーヤさんに頭下げて混ぜてもらったんだしさ」
 ギター。
 その楽器のことを、僕はほとんど知らない。高校時代の同級生が、学園祭で弾いていたのを見たことがある程度だ。
「で、ユーヤさんが決めたんだよ。プロになるぞ、って。誰も反対しなかったな」
 指の間に挟まっていた煙草が、止まる。
「レコーディングも順調に進んで、残り一曲で無事終了ってところで、ユーヤさんが死んだんだ」

 僕はただ、独白のような哲さんの話に耳を傾けている。心臓が、一度、高く跳ねた。カウンターの下の掌が、少し汗ばんでいるのを感じた。
「下らない事故だったよ。運転をミスした車がガードレールを突き破って歩道に。たまたまそこにいたユーヤさんが巻き込まれて、打ち所が悪くて死亡。地方版の朝刊の端っこに、小さく記事が載っただけだった」
 他人事のように。
 そうでもないと、語り続けることが出来ないような、深い感情。僕は、何故か僕が、胸の高鳴りに痛みを感じていた。
「馬鹿馬鹿しい話だよ。運転手は罪を問われ、それで終わり。事故の跡は綺麗に直されて、それで終わり。でも、ユーヤさんは?」
 煙草に、火がついた。煙が揺れながら、立ち上る。
「あの、ワガママでお調子ノリで勢いだけで突っ走ってたような、それでも最高のギタリストは?」
 怒り、ではない。事故は事故だし、責めても仕方ない。ありふれた、下らないと揶揄されるような事故であればこそ、怒れない。のだろう。
「綺麗な夕暮れの日だったよ。ユーヤさんはいつもみたいにギターケースを担いで、スタジオに向かってる最中だった。俺たち四人がどれだけ待っても、来なかった。来たのは、事故にあったって電話だけだったよ。なあ……」
 吸われなかった煙草が、また押し消された。
「なんで、ユーヤさんは死んだんだろうな?」
 空虚な疑問が、真っ直ぐ僕に向けられる。僕の滲んで歪んだ視界に、哲さんの力ない笑顔が映る。痛みが、走る。
 哲さんがグラスを取って、氷が音を立てた。
「ユーヤさんは、俺にこう言ったんだ。『俺がギターを弾けなくなっても、哲はずっと唄ってろよ』ってな。ガキみたいに笑ってよ、俺の背中ばんばん叩いて言ったんだ。だから俺は、あの人がいなくても――今でも、歌を唄ってる」
 グラスを軽く掲げて、哲さんが一息に全部飲み干した。
「続けてるのは俺だけだ。ベースの朋輝さんも、ドラムの賢一さんも、今じゃ普通に会社勤めだ。音楽やってたなんて分からないような、普通の会社員だよ」
「音さんは……?」
 僕は、それが気になっていた。
 哲さんと、音さん。どこか似ているところがあると、そう思う。大人だから、というだけではない。それは多分、同じ時間を過ごしてきて、同じ出来事の中で、同じ気持ちを感じていたからなのだろう。
 哲さんが、怒れず、ただ空っぽな感情に苛まれているのだとしたら。
 掌で、目を拭く。
「あの人は、ユーヤさんと一緒にギターを弾いてたんだ。大雑把で勢い任せなユーヤさんと、丁寧で繊細で正確なあの人のコンビは、なかなかなモンだった」
 聞きたかったこととは、違う答えが返ってきた。でも、それでも、音さんのことだ。知りたくないはずはない。
「忘れられないよな。こう……入れ替わるんだよ。旋律が。それで、その度に力強くなったり優しくなったり、毎回違う響き方をする。あのふたりが本気でソロを弾くときは、客席から歓声が消えたモンさ」
 熱っぽい口調で語る哲さんの姿。中空に浮いた視線の先に、その頃の音さんも映っているのだろう。語る姿に、目を、奪われる。
「水を打ったように静まる客席。スモークの煙るステージ。二本のギターの旋律だけが、ただ、そこにあったよ。ずっと続くんじゃないかって、錯覚するくらいに。俺も聞き惚れて、良く歌の入りを失敗したなあ」
 照れ笑いに、歓びが混じる。
「プロになった今でも、あんなプレイは聴いたことがないよ」
 ぱっ、と開かれた掌が、すぐにカウンターに落とされた。
「ユーヤさんが死んで一番キツかったのは、間違いなくあの人だ。ガキの頃から一緒に育って、ギターを始めたのも二人一緒。いつか二人で別々のバンドを組んで、デカいホールを二日続けて満席にするってのが野望だったらしい」
 哲さんが、顔を上げる。向けた先には、マスター。苦笑いしたマスターが、口を開いた。
「同じバンドじゃ勝負にならんから、別々のバンドを組むんだとさ。夕夜らしいよ」
 竦める肩に含まれた感情に、思い当たる。
「親父さん、もう一杯頼むよ」
 その呼び方が、それを肯定した。
 哲さんは、空になったグラスを手の甲で軽く押した。頷くマスターの仕草に、どこか疲れが見えた。背中が、小さい。
「あの人は、それからバンドを抜けた。つっても、ユーヤさんがいなくなって俺たちは全員諦めちまってたんだな。バンドは解散したよ」
 僕の知らなかった出来事の、その終わり。それで、ひょっとしたら、僕の知っている音さんの、その始まり。
「俺は、バカみたいに、ガキのワガママみたいに、唄い続けたよ。それで、運良くプロになって、今じゃ歌を唄ってメシを食ってる」
 誇らしい、とは思っていないように聞こえた。さっき言っていたように、他人事のようにすら聞こえる。現実感の乏しい、まるで昼に見る夢の続きのように。
「あの人は、それからずっと、毎日ここに来てるんだ。最初は俺たちも結構通ってたんだけど、親父さんに叱られてな。未だに通ってるのは、あの人だけだよ」
「ヤツが何をしてるのか、誰も知らないんだ。あれから五年、仕事もしてないって訳じゃないんだろうが」
 こん、とグラスが置かれた。哲さんと、僕の前にも。中身は同じ、多分ウイスキーだ。三つ目のグラスを、マスターが口に運んでいる。
「昔のヤツはよ、真っ直ぐな奴だったぜ。ひねたところなんて全くなくてよ。でも今じゃ……ただの抜け殻だ。夕夜が死んだとき、ヤツの中身まで持ってっちまったんじゃねぇかって、時々本気で思うよ」
「真っ直ぐな人ですよ、今でも。それは絶対、変わってません」
 哲さんが、マスターに言葉を向ける。
 僕は、顔を上げられない。
「ボーヤ、お前みたいにな」
 上げられない頭の上に、哲さんの掌が乗る。大きく、堅く、強い掌だ。こらえた涙が、零れてしまうくらいに。
「泣くなよボーヤ」
 その呼び方が、僕を肯定していた。
「哲よ、あんまり坊主をいじめてるとヤツにつまみ出されるぜ?」
 哲さんが、笑う。変わらずライトなマスターの口調は、優しい。
 僕の頬も緩む。
 もう一度、涙を拭いて、顔を上げた。
 目の前に置かれたグラスを手に取って、口に運ぶ。
 飲み慣れないウイスキーは、とても苦く、熱く感じられた。
 でも、おいしかった。

 音さんについての話。哲さんの語った話。僕は、それを、ただ黙って聞いているしか出来なかった。
 音さんの昔にそんなことがあったなんて、想像すら出来なかった。恥ずかしかった。
 僕はただ、音さんの表面的なものだけを見て、安易な気持ちで憧れていただけだったんだ。そう、気付いてしまった。
 音さんがユーヤさんのことをどれだけ大切に想っていたのかは、分からない。でもきっと、失ってしまって何も出来なくなるくらい、大切だったんだろう。その程度のことは僕にだって分かる。
「坊主はホントに、昔のヤツにそっくりだな」
 マスターが、そう言って笑う。哲さんも「そうだな」と頷いている。
 でも……。
 僕はきっと、音さんのようにはなれない。
 そんな辛い、苦しい日々の中でも、音さんは僕を助けてくれた。見なかった振りをして通り過ぎるのはとても簡単なのに、音さんは助けてくれた。
 助けて、くれたんだ。
 そうだ、僕は音さんに助けてもらったのに――
 まだ、恩返しのひとつもしてやしないんだ。

 ドアがきしみを立てて開いて、夜の空気が少しだけ滑り込んできた。
 音さんが、怪訝な顔をしてそこに立っていた。


《第七話へ続く》

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  1. 2017/06/22(木) 22:32:47|
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