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ことばがかいてあります。

[連載中] 僕らの青年期~音 第七話

 扉がきしむ音。いつからこの音が耳に馴染んだのだろう。



 扉がきしむ音。いつからこの音が耳に馴染んだのだろう。
 いつからこの音を聴くと、気持ちが軽くなるようになったのだろう。
 この音は、扉が開く音。きしみながらも、しっかりと開く音。
 そして、扉が開いてベルが鳴れば……。

「音さん」
 袖口で乱暴に目を擦ってから、夜の空気と共に滑り込んで来たその人を見詰める。
 いつもと同じ表情の薄い顔に、今日はほんの少し怪訝そうな影が見える。
「音さん、こんばんは」
 いつもと同じように、僕はそう言う。音さんは三人の顔を一瞬で見回して、「ああ」と漏らすように呟いた。そして、興味もないようにいつもの席に座る。哲さんの後ろを、何も言わずに通り抜けて、だ。
「お久し振りです。今日はお願いがあって来ました」
「ブレンド」
 哲さんの言葉には特に反応もせず、マスターにそう言う。
「また、俺と一緒にやってくれませんか? ギター、弾いてください」
 真剣な、張り詰めた口調で、哲さんが言う。ちょっとした用、と言っていたが、とても大切な用件に思う。音さんを取り巻く人たちのことを、少しだけでも教えてもらえた今では。
 でも、音さんの反応は冷ややかだった。
「他あたれ」
 感情のない声。知らない人が聞けば怒っているのだろうと思うほどに、平坦な声。
 でも、僕は知っていた。音さんのこういう言い方には、ちゃんと隠された意味と理由があるのだと。
 その意味も、理由も、今の僕では教えてはもらえないのだろうけれど。
「知らないと思いますけど、今じゃ俺もそれなりに仕事回してもらえるようになったんですよ。それで、今度やっとツアー組んでもらえて」
 ふう、と小さく溜め息が聞こえた。
「知ってるよ。おめでとう」
 端的な返しに、哲さんが少し怯むのが分かった。
「だから、どうしてもギターを弾いてもらいたいんです。俺のバックじゃ不満でしょうけど、このまんまじゃいつまで経っても──」
「同情なら、」
 身を乗り出して語る哲さんの声を遮るように、音さんが小さく呟いた。
「他に回せ。俺はそれほど惨めじゃない」
「知ってますよ、俺。これでも一応プロの端くれなんで、情報くらい入って来ます。スタジオミュージシャンの仕事、たまに請けてますよね? それなら、俺を助けてくれてもいいじゃないですか」
「食うためだ」
 そのやりとりに、マスターが目を丸くしていた。僕はスタジオミュージシャンというのがどんなものなのか分からなかった。だから、ふたりの話をただ聞くしかなかった。
「実は、親父さんにも用がありました。これを渡そうと思って」
 哲さんが、カウンターの下に置いていたバッグから、何かを取り出した。カウンターに並べられたのは、何枚かのCDだった。僕が知っているようなものは無さそうだ。
「全部、ヘルプで入ってますよね? 毎回名前変えてるから、探すの苦労しましたよ」
「物好きなヤツだな。相変わらず」
 音さんは、少し肩の力が抜けたようだった。
 マスターは、CDを一枚手に取った。グラスを傾けながら、表と裏を交互に眺めている。
「これだけレコーディング手伝っておいて、俺の曲は嫌なんですか?」
「必要ないだろ」
 音さんの本心は、分からない。その言葉の裏は。
「レコーディングに立ち会ったエンジニアが言ってましたよ。どうしてあの人が無名なのか分からない、って。誰だってそう思いますよ」
 賛辞のようなその言葉にも、音さんは反応を見せない。
 短い沈黙。
 マスターはCDケースを置き、グラスを置いて、カップにコーヒーを注ぐ。
 哲さんは、音さんを見ている。音さんがどこを見て、何を思っているのか、僕には分からない。僕はなんとなく、店内に目を巡らせた。
 いつもの「輪舞」だ。薄暗くて、ほんの少し肌寒くて、他のお客のいない、寂しい店内。マスターと、店長と、僕が。三人で、季節をひとつ過ごした場所。
 かすかに、コーヒーの香り。音さんの前にカップが置かれた。いつもと同じ仕草で、一口。この瞬間を眺めているのが、僕は好きだ。
 細く息を吐いて、音さんが口を開いて──閉じた。
 何も、言わなかった。
「ナオトさん!」
 哲さんが、吠えた。
 声の大きさより、その呼び方に、僕は驚いた。ナオト。音さん。毎回名前を変えているという彼の本当の名前を、僕は初めて知った。
「その手も、指も! 毎日ずっと、起きてる間ずっと! 弾いてるヤツの手じゃないですか! なんでそれを無駄にするんですか! こんな連中の曲で!」
 がしゃん! と派手な音を立てて、CDの上に手が叩きつけられた。
 ああ、そうか。哲さんは、嫉妬しているんだ。その人たちに。
 音さんと一緒に仕事が出来た、他のプロの人たちに。
 そして、多分、その曲の全部を、認めていない。
「ただ安心したいだけなんでしょう? ユーヤさんと並ぶギタリストは他にいないって、それを確かめてるだけなんでしょう?」
 煽るような、挑発的な言い回し。
 それでも落ち着いた口調と表情とで、音さんは返す。
「お前、酔ってるな?」
 挑発に乗らず、躱すような言葉。
「酒くらい飲みますよ! いつまでもガキじゃないんだ!」
 哲さんの反論は、子供じみていた。怒っている。でも、憎い訳じゃない。それに、怒らせたい訳でもない。そんな微妙な感情が、なんとなく僕にも分かった。
「あとな、煙草は辞めろ。喉に悪い」
 そう言った音さんは、マスターにも目を向けた。
「カップに匂いが移る」
「悪かったよ」
 マスターは肩を竦めて返した。いつもと同じ、緩んだ、色の消えた空気が流れる。
 でも哲さんは、そんな空気が気に入らないみたいだった。
「だから! 俺と一緒に! また演ってくださいよ!」
 大きな声だ。届け、という気持ちが、僕にまで響く。
 本気で、腹の底から何かを言おうとしている、大人の男の人の声だ。
「指が少しでも動かなくなるのがイヤで、酒も煙草も嫌いなままで! 体を冷やさないように、いつだって厚着してて! 続けてるんでしょう? 辞められないんでしょう? だったら、俺と同じじゃないですか!」
「哲」
 冷たく鋭い一言が、哲さんの長口上を遮った。
「お前と俺は違う」
 感情が、見えない。
 哲さんには、見えているのだろうか?
 だからこんなにも大きな声を、感情を、音さんに──ナオトさんに、ぶつけているのだろうか?
「同じですよ! 俺たちが出来ることなんて、音楽以外に何があるってんですか!」
「だから頼まれた仕事は請けてる」
 とんとん、とカウンターの上に置かれたCDケースに指を向けて。
「俺は! 学生の頃、ユーヤさんとナオトさんに助けられたから、だから、恩返しがしたくて。やっと一人前になれて、だから……」
 言葉の最後は、薄れて消えた。諦めた、のだろう。体をカウンターに向けて、煙草を咥える。
「辞めろって」
「俺と演らない人の命令なんて聞きません」
 完全に拗ねた子供じゃないか。少しだけ呆れてしまった。
「坊主がいる」
 音さんの予想外の台詞に、僕の体が跳ねた。哲さんも驚いている。マスターだけが、微笑んでいた。
 哲さんは僕を無遠慮に見て、煙草を口から取って、言った。
「なあ、ボーヤもナオトさんのギター、聴きたいよな?」
「え」
「おいおい哲、それはルール違反じゃねえか? さすがの直音も怒るぞ」
 マスターが笑いながら言う。
「えーっと……」
 困った。
 どうやら哲さんは、最初の印象とは大きく違って、中身は大人っぽくない人みたいだった。
「俺たちのこと、ボーヤに話しましたからね」
 哲さんの肩越しに、音さんの顔を見る。表情までは、伺えない。
 でも、言葉にしようとしても出来ない、深い何かがあるのだけは、僕にも分かった。
「また来ます。チケットは、親父さんに渡しておきました。もちろん、他のふたりにも。多分、来てはもらえないと思いますけど。それでも、ナオトさんは来てくれますよね?」 席を立ち、火のつけられなかった煙草を、丸い灰皿に載せる。足下のバッグを手に取って、哲さんは言った。
「せめて、見るくらいは」
 音さんは黙ったまま前を向いている。否定でも肯定でもなく。
 答えがない、ということなのかもしれない。分からない
 お会計を済ませた哲さんは、扉をきしませて「輪舞」を出て行った。
 静寂。
 僕はウイスキーのグラスを一度手に取り、置いて、カフェオレを飲む。飲み慣れた味。冷めて香りも薄れたけれど、落ち着く味。
 何かを、言おうとして。それでも、言うべきなのかが分からなくて。
 夕夜さんのこと。ナオトという名前のこと。音楽のこと。
 ギターのこと。
 聞きたいことも、話したいことも、たくさんあるはずなのに。
 いつもなら、マスターを間に挟んだ三人で、僕たちのリズムで、会話が出来たはずなのに。
 今の僕には、思い出せなかった。リズムが。
 色の死んだような店内に、張り詰めた空気。濡れて乾いた目と頬が、きしむ。息をするのすら、何故か高鳴っている鼓動すら、邪魔に思える。
 僕がここにいるのは、まるっきり場違いだというように。
「おやすみなさい、音さん」
 カフェオレを飲み終え、ウイスキーグラスの氷が溶けきって、僕は席を立った。何も言い出せないまま。
 きしみを立てて閉じた扉。去り際に見た音さんの横顔が泣き出しそうに見えたのは、多分光の加減のせいだと思う。


《第八話へ続く》

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  1. 2017/06/26(月) 00:00:00|
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